ニーチェはキリスト教を厳しく批判しましたが、その批判の主な点は以下の通りです。
ニーチェは、キリスト教が、人間が本来持っている生命力や創造性を抑圧し、平均的で凡庸な人間を生み出す原因であると考え、それを超克し、自ら価値を創造する「超人」を目指すべきだと説いたのです。
ニーチェの思想において、イエス・キリスト本人は、彼が批判した「キリスト教」とは異なる存在として捉えられていました。むしろ、イエスの生き方の中に、ニーチェが理想とする「超人」に通じる要素を見出していた、という解釈もあります。
ニーチェが批判したのは、イエス・キリストが本来持っていたとされる価値観が、後に教会や使徒パウロによって「奴隷道徳」へと変質させられたキリスト教という制度や教義でした。
ニーチェは、イエスの死後、使徒パウロをはじめとする弟子たちが、イエスが説いた現世肯定的な生き方を歪め、来世への期待や罪の意識、弱者への同情といった「奴隷道徳」を基盤とするキリスト教を構築したと批判しました。彼にとって、キリスト教は人間の生命力や創造性を抑圧し、凡庸な「畜群」を生み出す原因となったのです。
このように、ニーチェはイエス・キリスト本人と、彼が批判したキリスト教を明確に区別していました。彼はイエスの生き方の中に、自らが提唱する「超人」の片鱗を見出しつつも、その後のキリスト教の教義が、その本質からかけ離れたものになったと考えていたのです。
ニーチェは「神は死んだ」と宣言したことで有名ですが、これは単に「神は存在しない」と言い放ったわけではありません。彼の「神」に対する考えは、より深く、複雑でした。
ニーチェが「神は死んだ」と述べたのは、彼が生きていた19世紀のヨーロッパにおいて、キリスト教的な神、つまり絶対的な真理、道徳、意味の源としての神が、もはや人々にとって有効な価値基準ではなくなったことを意味します。人々がもはや心から神を信じなくなり、神が提供してきた世界の秩序や価値体系が崩壊した状況を表現したのです。
これは、近代科学の発展(ダーウィンの進化論など)、啓蒙思想、世俗化の進展によって、それまで疑う余地のないものとされてきた神の権威が失われたことを示唆しています。ニーチェは、この「神の死」が、一方で人類に自由をもたらす可能性を秘めていると同時に、既存の価値観が失われたことによる「虚無主義(ニヒリズム)」の到来を予見しました。
ニーチェは、キリスト教の神だけでなく、プラトン以来の西洋哲学が追求してきた絶対的な真理や超越的な価値全般を批判の対象としました。彼にとって、これらの「神」や「絶対的な真理」は、人間が自らの生を肯定し、創造的に生きることを妨げる、架空の権威や理想に過ぎませんでした。
彼は、人間が苦しみや不安から逃れるために、あるいは自らの弱さを正当化するために、「神」という概念を創り出したと考えました。キリスト教の神は、現世を否定し、来世に安息を求める弱者の願望の産物であると捉えられました。
ニーチェは、神が死んだ後の世界で、人間は自ら意味や価値を創造しなければならないと考えました。これが彼の言う「力への意志」であり、**既存の価値を乗り越え、自らの生を肯定する「超人」**の思想につながります。
彼にとって、神はもはや救済の源ではなく、人間が自律的に生きることを妨げる、乗り越えるべき幻想だったのです。
ニーチェの神に対する見解は、単なる無神論ではなく、西洋文明の根底をなす価値観の問い直しであり、その後の思想に大きな影響を与えました。