Q
ニーチェはキリスト教のなにを批判したのですか?
A

ニーチェはキリスト教を厳しく批判しましたが、その批判の主な点は以下の通りです。

  1. 奴隷道徳としてのキリスト教
    ニーチェは、キリスト教の道徳を「奴隷道徳」と呼び、これを「ルサンチマン(怨恨、復讐心)」から生まれたものと見なしました。ルサンチマンとは、強者に対する弱者の憎悪や嫉妬が、内面化されて価値観を逆転させることで成立する道徳です。
    キリスト教は、謙虚、隣人愛、慈悲といった価値を重視しますが、ニーチェはこれを、本来の力強く生きることを抑圧し、弱者を正当化するためのものだと考えました。具体的には、現世での苦しみを肯定し、来世での報いを説くことで、現世の不満や弱さを覆い隠そうとするものだと批判しました。

  2. 「神は死んだ」と虚無主義(ニヒリズム)
    ニーチェは「神は死んだ」と宣言しました。これは、単に神の存在を否定するだけでなく、キリスト教が長年人々に与えてきた絶対的な価値や道徳の基盤が失われたことを意味します。神という最高の価値が失われた世界では、これまでの善悪の規範や生きる意味が失われ、虚無主義(ニヒリズム)が到来すると考えました。

  3. 現世否定と来世志向
    キリスト教は、この世の苦しみや肉体的な欲望を否定し、死後の世界や精神的な救いを重視します。ニーチェはこれを、現実の生を否定し、逃避する態度だと批判しました。彼は、人間は現世を肯定し、自らの「力への意志」に基づいて生きるべきだと主張しました。

  4. 弱者の擁護と強者の抑圧
    キリスト教は、貧しい人々や苦しむ人々への同情や救済を説きます。ニーチェは、これが行き過ぎると、強くて健康な個人の力を抑圧し、人間の高貴な可能性を妨げると考えました。彼は、同情は時に、真に苦しむ人々の成長を阻害し、彼らを弱いままとどめてしまう危険性があると指摘しました。

ニーチェは、キリスト教が、人間が本来持っている生命力や創造性を抑圧し、平均的で凡庸な人間を生み出す原因であると考え、それを超克し、自ら価値を創造する「超人」を目指すべきだと説いたのです。

Q
キリスト本人は超人だったのではないですか?
A

ニーチェの思想において、イエス・キリスト本人は、彼が批判した「キリスト教」とは異なる存在として捉えられていました。むしろ、イエスの生き方の中に、ニーチェが理想とする「超人」に通じる要素を見出していた、という解釈もあります。

ニーチェが批判したのは、イエス・キリストが本来持っていたとされる価値観が、後に教会や使徒パウロによって「奴隷道徳」へと変質させられたキリスト教という制度や教義でした。

ニーチェのイエス・キリストに対する見解

  • 「最初のキリスト教徒はただ一人だった。そしてその人は十字架につけられて死んだ」:ニーチェはこう述べ、イエス本人こそが真の「福音」(良い知らせ)を生きた人物であり、その後のキリスト教はイエスが体現したものの反対物であると見なしました。
  • 「現実肯定」の姿勢:ニーチェは、イエスが「神の国はあなた方のうちにある」と語ったことを重視し、それは来世や彼岸に価値を置くのではなく、「今ここにある生」を肯定し、その中に至福を見出す生き方であると解釈しました。これは、キリスト教が説く「現世否定」とは対照的です。
  • 「力への意志」の具現者としての側面:イエスは、当時の宗教的・社会的規範に囚われず、自らの内なる真理に基づいて行動したとニーチェは見ていました。彼の行動には、自らの価値を創造し、既存の価値観を転換させようとする「力への意志」の萌芽が見て取れる、と解釈することもできます。
  • 「ルサンチマン」からの自由:イエスは、彼を迫害する者に対しても愛と許しを説きました。ニーチェは、これに「ルサンチマン」からの自由、つまり弱者の怨念からくる価値転倒ではなく、高貴な精神からくる力強さを見出したとされます。

なぜキリスト教を批判したのか

ニーチェは、イエスの死後、使徒パウロをはじめとする弟子たちが、イエスが説いた現世肯定的な生き方を歪め、来世への期待や罪の意識、弱者への同情といった「奴隷道徳」を基盤とするキリスト教を構築したと批判しました。彼にとって、キリスト教は人間の生命力や創造性を抑圧し、凡庸な「畜群」を生み出す原因となったのです。

このように、ニーチェはイエス・キリスト本人と、彼が批判したキリスト教を明確に区別していました。彼はイエスの生き方の中に、自らが提唱する「超人」の片鱗を見出しつつも、その後のキリスト教の教義が、その本質からかけ離れたものになったと考えていたのです。

Q
神それ自体についてはどうだったのでしょう?
A

ニーチェは「神は死んだ」と宣言したことで有名ですが、これは単に「神は存在しない」と言い放ったわけではありません。彼の「神」に対する考えは、より深く、複雑でした。

ニーチェの「神は死んだ」の意味

ニーチェが「神は死んだ」と述べたのは、彼が生きていた19世紀のヨーロッパにおいて、キリスト教的な神、つまり絶対的な真理、道徳、意味の源としての神が、もはや人々にとって有効な価値基準ではなくなったことを意味します。人々がもはや心から神を信じなくなり、神が提供してきた世界の秩序や価値体系が崩壊した状況を表現したのです。

これは、近代科学の発展(ダーウィンの進化論など)、啓蒙思想、世俗化の進展によって、それまで疑う余地のないものとされてきた神の権威が失われたことを示唆しています。ニーチェは、この「神の死」が、一方で人類に自由をもたらす可能性を秘めていると同時に、既存の価値観が失われたことによる「虚無主義(ニヒリズム)」の到来を予見しました。

ニーチェにとっての「神」の概念

ニーチェは、キリスト教の神だけでなく、プラトン以来の西洋哲学が追求してきた絶対的な真理や超越的な価値全般を批判の対象としました。彼にとって、これらの「神」や「絶対的な真理」は、人間が自らの生を肯定し、創造的に生きることを妨げる、架空の権威や理想に過ぎませんでした。

彼は、人間が苦しみや不安から逃れるために、あるいは自らの弱さを正当化するために、「神」という概念を創り出したと考えました。キリスト教の神は、現世を否定し、来世に安息を求める弱者の願望の産物であると捉えられました。

「神なき世界」の先へ

ニーチェは、神が死んだ後の世界で、人間は自ら意味や価値を創造しなければならないと考えました。これが彼の言う「力への意志」であり、**既存の価値を乗り越え、自らの生を肯定する「超人」**の思想につながります。

彼にとって、神はもはや救済の源ではなく、人間が自律的に生きることを妨げる、乗り越えるべき幻想だったのです。

ニーチェの神に対する見解は、単なる無神論ではなく、西洋文明の根底をなす価値観の問い直しであり、その後の思想に大きな影響を与えました。

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