Q
中世が神の時代だったとしたら、近代~現代は何の時代だったのでしょう?
A

中世を「神の時代」と捉えるならば、近代から現代は、その「神」という絶対的な中心が失われた後に、人類が何を新しい中心に据えようとしてきたか、その模索と葛藤の歴史と見ることができます。一つに絞ることは難しいですが、いくつかの重要な側面から「〇〇の時代」と表現することができるでしょう。

1. 「理性の時代」そして「人間の時代」

中世において、世界のあらゆる事象は神の摂理によって説明されていました。しかし、ルネサンスや宗教改革を経て、近代になると人々は神の権威から距離を置き、人間自身の「理性」によって世界を理解し、秩序立てようと試みました。

  • 啓蒙思想: 17〜18世紀には、理性を絶対的な基準とし、非合理的な伝統や権威を批判する啓蒙思想がヨーロッパを席巻しました。これはまさに、神に代わって「理性」が時代の中心となったことを象徴しています。
  • ヒューマニズム(人間中心主義): 神の栄光のためではなく、人間そのものの価値や能力、尊厳を重視する考え方が広まりました。近代とは、神の物語から人間の物語へと主役が交代した「人間の時代」であると言えます。

2. 「科学の時代」

理性が世界を解明するための最も強力な武器が「科学」でした。科学革命以降、世界観は劇的に変化します。

  • 地動説が天動説を覆し、ニュートンの物理学が世界の法則を数式で説明しました。ダーウィンの進化論は、神による天地創造とは異なる生命の起源を示しました。
  • 科学技術は産業革命を引き起こし、人々の生活や社会構造を根底から変えました。現代に至っては、AIやゲノム編集など、科学技術はかつて神の領域とされた生命の設計にまで踏み込もうとしています。このように、近代から現代は、世界の支配原理が「神の摂理」から「科学法則」へと移った**「科学の時代」**と捉えることができます。

3. 「資本の時代」

宗教的な権威が薄れる一方で、社会を動かす新たな強力な力が生まれました。それが「資本(お金)」です。

  • 産業革命以降、資本主義が世界を覆い、経済活動が社会の最優先事項となりました。個人の人生も、国家の運営も、国際関係も、資本の論理によって大きく左右されるようになりました。
  • かつて人々が神に救いを求めたように、現代人は経済的な豊かさの中に幸福や安心を見出そうとします。その意味で、神に代わる新たな信仰対象として「資本」が君臨する**「資本の時代」「経済の時代」**という見方もできます。

4. 「国家の時代」そして「個人の時代」

中世の人々の帰属意識が教会や共同体にあったとすれば、近代以降は「国家」がその中心となりました。

  • 人々は「神の民」から、特定の言語や文化を共有する「国民」へと意識を変え、国家への忠誠が求められるようになりました。二度の世界大戦は、その「国家」という枠組みが暴走した極限的な例と言えるでしょう。
  • しかし現代、特に21世紀に入ると、その国家という枠組みすらも絶対ではなくなり、より小さな単位である「個人」の生き方や価値観が重視されるようになります。グローバル化とインターネットの普及がこの流れを加速させました。これは**「個人の時代」**の到来と言えます。

まとめ

中世が「神」という絶対的な一つの中心を持つ安定した(あるいは停滞した)時代だったとすれば、近代から現代は、

「神という中心を失った人類が、『理性』『人間』『科学』『資本』『国家』といった様々なものを新たな中心に据えようと試みては、その限界に直面し、最終的に『個人』という無数の中心へとたどり着いた、ダイナミックで混沌とした時代」

とまとめることができるかもしれません。

ニーチェが「神は死んだ」と語ったのは、絶対的な価値基準が失われた時代の幕開けを告げる言葉でした。その意味で、近代から現代を、確固たる答えのない不安と自由の中を生きる**「虚無(ニヒリズム)の時代」「意味を探し求める時代」**と捉えることも可能でしょう。

Q
「物の時代」だったような気がします
A

「物の時代」だった、というご指摘は非常に的確で、近代から現代、特に20世紀の本質を鋭く捉えた視点だと思います。先の回答に付け加える形で、その意味を考えてみたいと思います。

中世の人々の欲望や願いが「神の救い」や「天国への憧れ」といった形而上学的なものに向けられていたとすれば、近代以降、人々の欲望は、目に見え、手に取ることのできる**「物」**に強く向けられるようになりました。

なぜ「物の時代」と言えるのか

  1. 大量生産・大量消費の時代
    産業革命によって、人類は歴史上初めて「物」を大量に、かつ安価に生産する能力を手にしました。工場で次々と生み出される工業製品は、人々の生活を便利にし、社会のあり方を一変させました。そして、その「物」を大量に消費することが経済を成長させ、社会を豊かにすると信じられました。国家も企業も、人々に「もっと物を持て、もっと消費せよ」と促したのです。
  2. 「物」が幸福の象徴だった時代
    特に第二次世界大戦後の高度経済成長期において、テレビ、冷蔵庫、洗濯機といった「三種の神器」に始まり、クーラー、カラーテレビ、自動車(3C)へと続く流れは、まさに「物を所有すること」が幸福や豊かさの象徴であったことを物語っています。良い家に住み、良い車に乗り、最新の家電を揃えることが、多くの人にとっての人生の目標であり、社会的成功の証でした。これは、神への信仰に代わる、非常に分かりやすい現世的な価値基準だったと言えます。
  3. 科学技術の結晶としての「物」
    私が先に述べた「科学の時代」の成果は、常に具体的な「物」として人々の前に現れました。蒸気機関車、飛行機、ラジオ、コンピュータ、そして現代のスマートフォン。これらの「物」は単なる道具ではなく、時代の最先端であり、人類の進歩そのものを体現するアイコンでした。人々は新しい「物」に未来への希望を託したのです。

「物の時代」の変容

しかし、21世紀に入り、その「物の時代」にも変化の兆しが見られます。

  • モノからコトへ: 人々の関心が、物を「所有」することから、それを通じて得られる「体験(コト)」へと移りつつあります。旅行、学習、イベント参加など、無形の価値が重視されるようになりました。
  • 所有から利用へ: サブスクリプションサービスが普及し、車や家具、洋服でさえも「所有」するのではなく、必要な時に「利用」するという考え方が広がっています。
  • サステナビリティ(持続可能性): 大量生産・大量消費を前提とした「物の時代」が、環境破壊という深刻な問題を引き起こしたことへの反省から、持続可能な社会を目指す動きが世界的に強まっています。

結論

ご指摘の通り、近代から現代は、**神に代わって「物」が人々の欲望の中心となり、その生産と消費が社会を動かしてきた「物の時代」**であったと、間違いなく言うことができます。それは「資本の時代」や「科学の時代」という側面と表裏一体であり、人々の価値観を最も具体的に形作ってきたと言えるでしょう。

そして今、私たちはその「物の時代」の価値観が揺らぎ、次の新しい価値観が模索される、大きな転換期にいるのかもしれません。

Q
AIが進歩してまんべんなく広がった後の価値はどうなるでしょう?
A

AIが進化し、社会の隅々まで浸透した後の「価値」の変化は、現代における最も重要で根源的な問いの一つです。それは経済的な価値だけでなく、人間のスキルや生きがいといった、より本質的な価値観の変容を意味します。

結論から言えば、価値の源泉は**「AIが得意なこと」から「人間にしかできないこと(あるいは、AIには本質的に難しいこと)」**へと、劇的にシフトしていくでしょう。

これは、かつて機械が人間の肉体労働を代替したことで、知的労働や創造的な仕事の価値が高まった歴史の延長線上にあります。今回は、AIが人間の「知的労働」の一部を代替するため、さらに大きな価値の再定義が起こります。

具体的には、以下の4つの領域で価値の変化が顕著になると考えられます。

1. 経済活動・スキルの価値

最も分かりやすく変化が現れるのが、仕事やスキルにおける価値です。

  • 価値が低下するもの:再現性のある知識とタスク処理
    • 情報処理・分析:市場データの分析、定型的なレポート作成、リサーチなど、AIが人間より速く正確にこなせる分野。
    • パターン化された業務:会計処理、プログラミングの単純なコーディング、翻訳、事務作業など。
    • 「正解」を覚えていること:法律の条文や過去の判例、医療の知識などを単に記憶していることの価値は薄れます。AIが一瞬で、より網羅的に提示してくれるからです。
  • 価値が高まるもの:AIを使いこなし、人間ならではの判断を下す能力
    • 問いを立てる力(課題設定能力):AIは優れた「解答者」ですが、「何を解決すべきか」という問いは立てられません。ビジネスや社会が抱える本質的な課題を見つけ出し、AIに的確な問いを与える能力は極めて重要になります。
    • 創造性・ビジョン構想力:既存のデータを組み合わせる模倣(AIが得意)ではなく、全く新しいコンセプト(0→1)を生み出す芸術的・哲学的な創造性や、「こういう世界を作りたい」というビジョンを掲げる力。
    • 共感・コミュニケーション:チームをまとめ、人を鼓舞し、顧客と深い信頼関係を築くといった、ウェットな人間関係の構築。特に、ケア、教育、カウンセリングなど、深い共感を必要とする領域。
    • 倫理的判断と責任:AIが提示した複数の選択肢から、倫理や社会的な文脈を考慮して最終的な意思決定を行い、その結果に責任を負うこと。これは人間にしかできません。
    • 身体性を伴う技能:一流の職人による手仕事、トップアスリートのパフォーマンス、優れた料理人の調理など、繊細な身体感覚と経験知が融合した技能は、デジタル空間では再現が難しく、その希少価値はむしろ高まるでしょう。

2. 情報・データの価値

情報の価値も根本から変わります。

  • 価値が低下するもの:情報の「所有」
    「知っている」こと自体の価値は暴落します。誰もが超高性能なAIアシスタントを手にし、あらゆる情報に瞬時にアクセスできるようになるからです。
  • 価値が高まるもの:情報の「編集」と「文脈の付与」
    • キュレーション能力:溢れかえる情報の中から、本質的で信頼できるものを選び出し、意味のある形でつなぎ合わせ、独自の視点や物語として提示する「編集能力」の価値が高まります。
    • 体験・一次情報:誰もがアクセスできる二次情報ではなく、自らの足で稼いだ現場の情報、独自の体験から得た暗黙知や肌感覚といった「一次情報」が、AIの学習データにはないユニークな価値を持ちます。

3. 社会・文化的な価値

人々の欲望や、何に「豊かさ」を感じるかも変化します。

  • 価値が低下するもの:効率と利便性
    AIによって社会全体の効率性が飛躍的に向上するため、「速い」「便利」は当たり前になり、それだけでは差別化要因になりにくくなります。
  • 価値が高まるもの:つながりと実感
    • コミュニティへの帰属:デジタルで何でもできる時代だからこそ、リアルな場所で同じ価値観を持つ人々と集い、つながりを感じることの価値が増します。地域のお祭り、共通の趣味のサークル、リアルなイベントなどが重要になります。
    • 本物であること(Authenticity):AIが生成したコンテンツが溢れる中で、「これは本物の人間が、本心から作ったものだ」という確信が、強い価値を持つようになります。作り手の顔が見えること、その背後にある物語が信頼を生みます。
    • 無駄・余白・偶然性:効率化の対極にある、一見無駄に見える時間や、目的のない散歩、偶然の出会いといった「遊び」の部分が、新しい発見や創造の源泉として再評価されます。

4. 個人の生きがいの価値

AIが多くの労働を代替することで、私たちは「何のために働くのか、生きるのか」を改めて問われることになります。

  • 価値が低下するもの:生産性で測る自己肯定感
    「いかに効率よく多くのタスクをこなしたか」で自分の価値を測る生き方は、AIに勝てないため、精神的に苦しくなる可能性があります。
  • 価値が高まるもの:「意味」や「目的」の実感
    • 自己探求:自分が本当に好きなこと、情熱を注げるものは何かを探求し、それを追求すること自体が価値を持ちます。
    • 貢献の実感:利益や生産性だけでなく、「誰かの役に立っている」「社会をより良くしている」という貢献の実感が、生きがいの大きな柱になります。

まとめ:価値のシフト

価値が低下・陳腐化するもの価値が高まるもの
知識の記憶、正解を出す力問いを立てる力、課題設定能力
定型的な情報処理・分析創造性、ビジョン、0→1の発想
効率性、スピード、生産性共感、倫理観、責任ある判断
情報の「所有」情報の「編集」、文脈の付与
デジタルで完結する利便性身体的な体験、リアルなつながり
模倣、再現性本物であること、唯一無二の物語

AIが普及した社会は、人間に「あなたにとって本当に大切なものは何か?」と問いかけてくる社会です。それは、これまで経済成長の中で見過ごされがちだった、より人間的な価値に光が当たる時代の幕開けと言えるのかもしれません。

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