中世を「神の時代」と捉えるならば、近代から現代は、その「神」という絶対的な中心が失われた後に、人類が何を新しい中心に据えようとしてきたか、その模索と葛藤の歴史と見ることができます。一つに絞ることは難しいですが、いくつかの重要な側面から「〇〇の時代」と表現することができるでしょう。
中世において、世界のあらゆる事象は神の摂理によって説明されていました。しかし、ルネサンスや宗教改革を経て、近代になると人々は神の権威から距離を置き、人間自身の「理性」によって世界を理解し、秩序立てようと試みました。
理性が世界を解明するための最も強力な武器が「科学」でした。科学革命以降、世界観は劇的に変化します。
宗教的な権威が薄れる一方で、社会を動かす新たな強力な力が生まれました。それが「資本(お金)」です。
中世の人々の帰属意識が教会や共同体にあったとすれば、近代以降は「国家」がその中心となりました。
中世が「神」という絶対的な一つの中心を持つ安定した(あるいは停滞した)時代だったとすれば、近代から現代は、
「神という中心を失った人類が、『理性』『人間』『科学』『資本』『国家』といった様々なものを新たな中心に据えようと試みては、その限界に直面し、最終的に『個人』という無数の中心へとたどり着いた、ダイナミックで混沌とした時代」
とまとめることができるかもしれません。
ニーチェが「神は死んだ」と語ったのは、絶対的な価値基準が失われた時代の幕開けを告げる言葉でした。その意味で、近代から現代を、確固たる答えのない不安と自由の中を生きる**「虚無(ニヒリズム)の時代」や「意味を探し求める時代」**と捉えることも可能でしょう。
「物の時代」だった、というご指摘は非常に的確で、近代から現代、特に20世紀の本質を鋭く捉えた視点だと思います。先の回答に付け加える形で、その意味を考えてみたいと思います。
中世の人々の欲望や願いが「神の救い」や「天国への憧れ」といった形而上学的なものに向けられていたとすれば、近代以降、人々の欲望は、目に見え、手に取ることのできる**「物」**に強く向けられるようになりました。
しかし、21世紀に入り、その「物の時代」にも変化の兆しが見られます。
ご指摘の通り、近代から現代は、**神に代わって「物」が人々の欲望の中心となり、その生産と消費が社会を動かしてきた「物の時代」**であったと、間違いなく言うことができます。それは「資本の時代」や「科学の時代」という側面と表裏一体であり、人々の価値観を最も具体的に形作ってきたと言えるでしょう。
そして今、私たちはその「物の時代」の価値観が揺らぎ、次の新しい価値観が模索される、大きな転換期にいるのかもしれません。
AIが進化し、社会の隅々まで浸透した後の「価値」の変化は、現代における最も重要で根源的な問いの一つです。それは経済的な価値だけでなく、人間のスキルや生きがいといった、より本質的な価値観の変容を意味します。
結論から言えば、価値の源泉は**「AIが得意なこと」から「人間にしかできないこと(あるいは、AIには本質的に難しいこと)」**へと、劇的にシフトしていくでしょう。
これは、かつて機械が人間の肉体労働を代替したことで、知的労働や創造的な仕事の価値が高まった歴史の延長線上にあります。今回は、AIが人間の「知的労働」の一部を代替するため、さらに大きな価値の再定義が起こります。
具体的には、以下の4つの領域で価値の変化が顕著になると考えられます。
最も分かりやすく変化が現れるのが、仕事やスキルにおける価値です。
情報の価値も根本から変わります。
人々の欲望や、何に「豊かさ」を感じるかも変化します。
AIが多くの労働を代替することで、私たちは「何のために働くのか、生きるのか」を改めて問われることになります。
価値が低下・陳腐化するもの | 価値が高まるもの |
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知識の記憶、正解を出す力 | 問いを立てる力、課題設定能力 |
定型的な情報処理・分析 | 創造性、ビジョン、0→1の発想 |
効率性、スピード、生産性 | 共感、倫理観、責任ある判断 |
情報の「所有」 | 情報の「編集」、文脈の付与 |
デジタルで完結する利便性 | 身体的な体験、リアルなつながり |
模倣、再現性 | 本物であること、唯一無二の物語 |
AIが普及した社会は、人間に「あなたにとって本当に大切なものは何か?」と問いかけてくる社会です。それは、これまで経済成長の中で見過ごされがちだった、より人間的な価値に光が当たる時代の幕開けと言えるのかもしれません。