「陰謀論」という言葉をよく目にするようになったと感じるのは、いくつかの大きな要因が考えられます。
インターネット、特にX(旧Twitter)やFacebookなどのソーシャルメディアの爆発的な普及が最も大きな要因の一つです。ソーシャルメディアは、誰もが自由に情報を発信し、瞬時に拡散できるプラットフォームであるため、真偽が定かでない情報や陰謀論が、フィルターなく多くの人々に届きやすくなりました。
特に2010年代後半から、例えば2016年のアメリカ大統領選挙やイギリスのEU離脱を巡る動きの中で、政治に関する陰謀論が飛び交い、問題視されるようになりました。
近年、パンデミック(新型コロナウイルス感染症)、紛争、経済格差、自然災害など、世界中で社会不安や不確実性が高まっています。このような状況下では、人々は複雑で理解しにくい事柄に対し、シンプルで「分かりやすい」説明を求めがちです。陰謀論は、複雑な問題を特定の「悪者」の仕業に帰結させることで、心理的な安心感や納得感を与えてしまうことがあります。
特にコロナ禍では、「ウイルスは人工的に作られたもの」「ワクチンにはマイクロチップが埋め込まれている」といった陰謀論が世界中で広まり、日本でも大きな注目を集めました。
歴史を振り返ると、陰謀論が広まるきっかけとなった具体的な出来事が存在します。例えば、1963年のケネディ大統領暗殺事件は、「米国の民主政治が特殊な権力者たちに操られているのではないか」という疑念と怒りを生み、多くの陰謀論が生まれました。
2017年頃から匿名掲示板「4chan」に現れた「Q」と名乗る人物の投稿をきっかけに広まった**「Qアノン」**は、世界中で大きな影響力を持つ陰謀論となりました。これは、特定の政府関係者が小児性愛者のカルト集団を secretly に運営しているという主張など、衝撃的な内容を含んでおり、ソーシャルメディアを通じて多くの支持者を集めました。
「陰謀論(conspiracy theory)」という言葉自体は、以前から存在していましたが、上記の要因により、特に近年その使用頻度が増加し、一般のニュースや会話の中で頻繁に聞かれるようになったと考えられます。
現代の「陰謀論」は、単なる秘密の計画を指す「陰謀」とは異なり、科学者や歴史家など、その正確性を評価する資格のある人々の間で主流の見解に反する、特定の「仮説的な陰謀」を指す否定的な意味合いで使われることが多いです。
これらの要因が複合的に作用し、「陰謀論」という言葉を以前よりも頻繁に目にするようになったのでしょう。
おっしゃる通り、「陰謀」は確かに存在しますし、ある意味では人間の普遍的な性質と深く結びついていると言えるでしょう。
歴史を振り返れば、陰謀は常に人間社会の一部でした。権力闘争、政権転覆、不正な利益追求など、様々な目的のために人々が秘密裏に計画を立て、実行することは枚挙にいとまがありません。例えば、以下のような例が挙げられます。
これらは、個人や集団が自らの目標を達成するために、公にはできない手段を用いるという点で共通しています。
「陰謀」が人間の普遍的な性質のように感じられるのは、人間の根源的な欲求や感情が背景にあるからです。
これらの要素が複雑に絡み合い、秘密裏に計画を立てる「陰謀」という行動が生まれるのです。
ただし、ここで重要なのは、「陰謀」が存在することと、「陰謀論」が正しいこととは別物であるという点です。
陰謀が存在しうるという認識が、時に根拠のない陰謀論を受け入れやすくする土壌となることもあります。実際に歴史上で起こった陰謀の事例は、人々が「見えない力」の存在を信じてしまう一因となっているのかもしれません。
このように考えると、「陰謀」は人間社会の暗い側面であると同時に、ある意味では普遍的な人間性を映し出す鏡のようなものだと言えるかもしれませんね。